機動戦士Zガンダム−星の鼓動は愛−を見てきました

先日、新訳Zの最終章を見てきました。物語のラストに向けて、政治的な駆け引き、局地的や大規模な戦闘、そして登場人物が織りなす愛。いろいろな要素が盛り込まれていて、大変楽しめた映画でした。このシリーズ全編に言えることですが、初めてZガンダムを見る方には厳しい内容です。逆に、少しでもお話を知っていれば、スピーディな展開にワクワク出来ると感じます。ただ、キャストに問題(?)が。

ミネバ・ザビは絶対に金田朋子さんだと思っていたのですが、違っていました…

Amazonリンク以下は、ネタバレがありますので未見の方はご留意下さい。

機動戦士ZガンダムII -恋人たち- [DVD]

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Zガンダムは、カミーユ・ビダンの成長の物語だと思います。前作の「機動戦士ガンダム」が群像劇であり、それゆえ魅力的なキャラクターに熱心なファンがついていると考えると、Zのキャラクターにはそういった傾向は少ないと感じます。それは、カミーユがフィーチャーされているからではないでしょうか。
 
そして、主人公の成長は2つの点から描かれていると思います。
一つはモビルスーツ。友人が言ったように、子どもがスーツを着て大人の世界に飛び込むのがガンダムのストーリーの柱。スーツが体に馴染むに従って、主人公も成長をしていくのです。
もう一つは、女性との関わり。ファという幼なじみ、エマという姉の存在。レコアは職場の女性キャリアの先輩であり、サラはちょっと変わった後輩。そしてフォウは恋人です。この様に、いろいろな立場の女性に会って、成長をしていくと感じました。
星を継ぐ者」「恋人たち」の前2作では、特に上記2つを強く意識しました。父親が開発したガンダムマークIIに乗り、家庭を離れ、多くの女性たちと人間的な関係を持ちながら成長をするカミーユ。恋人という特別な存在であるフォウと別れた後は、女性のようなシルエットを持つZガンダムに乗り換え、戦場を駆けるのです。
 
ところが今作「星の鼓動は愛」では、カミーユの前に特定の女性は現れず、シロッコハマーン・カーンが物語を引っ張っていきます。
THE-Oという絶対的な存在名を持つモビルスーツを駆り、自らの意志に絶対的な価値を見いだして行動するシロッコキュベレイという大地女神に搭乗し、母親のように素人集団であるアクシズを導きながら、シャアに対しては女性的な感情を捨てきれないハマーン
新しいカットから、これまでには気がつかなかった2人の位置づけを感じたとき、クライマックスの劇場でのシーンの印象が、テレビ版と大きく変わりました。
 
三者の構図は、カミーユが離れた家庭そのものではないのか。彼は、客観的に、もう一度両親と向かい合っているのではないのか。
自分の”信念”を貫くシロッコは、新型モビルスーツの開発と愛人という生き方を通したフランクリン・ビダンを連想し、母親と女性で揺れ動くハマーンは、ヒルダを思い起こさせます。そこで自説を掲げるシャア。彼は家庭に対して鬱屈した感情を持ち、あるべき家族像を模索していた自分自身であり、それ故カミーユはシャアに変わって2人に銃を向けつつ理想を叫ぶ。しかし、その思いは2人には届きません。
言葉が届かず、決裂は決定的なものとなります。ラストシーン間近の戦闘で、ハマーンの中にフォウを見たカミーユは、カミーユの中にシャアを見たハマーンによって拒絶されます。絶対的な存在であるシロッコに対しては、多くの女性−その中に、母親がいたのも印象的でした−の力を借りながら対抗し、倒すのです。ここで、カミーユは母親と決別出来、父親を乗り越えたのではないでしょうか。
 
最後に傍らにいたのは、ファ・ユイリィ。2人は固く抱き合って、物語は終局となりました。人類が意識するとも無意識にも紡いできた営みに、また新たな恋人たちが加わり、やがて継ぐ者が誕生するのでしょう。そうして星の鼓動は止まることを知らない−。
 
ロボットアニメでありながら、”愛”の一つの形を描いた素晴らしい作品だと思います。劇場で見ることが出来て幸せでした。